北野武のアキレスと亀のタイトルの意味
コレはやばい。北野武映画は全部観ていると言うわけではなくて今更ながらの視聴でした。今まで観た中では「あの夏、いちばん静かな海」がいちばん好きだったけど、コレきたか〜!と言う印象。
涙もろい僕だがしゃくり上げたのは久しぶりかも。
個人的な見解でタイトルを考察するとアキレス=主人公、亀=過去の巨匠だと思うんですよね。
アートを作りたい新しい物を作りたいとしても先人(故に過去)に追いつくことが出来ない。その先人の上に今があるから同じような事しか出来ないと言うパラドックスと僕は感じた。
そのパラドックスを破る鍵は自己に他ならないんだろうなぁ。
この作品、主人公をやりたい事だけやって人に迷惑かけて最悪と言う人がいると思うけど、やりたい事に目を背けて人に迷惑かけないように人生を生きているのと人に迷惑かけるけどそれでもやりたい事に素直に向き合う人、どちらが誠実なのだろうか…。
ともすればどちらも誠実な人生でそれが他人に誠実か己に誠実かの違いでしかない。
最も大切なのは主人公を良いと言ってくれる人が必ずいるという事。
主人公は見たままの風景じゃダメだと言われアカデミックな知識を手に入れ今度はそれはパクリだと言われ、コンセプトと言われても表現にブレがある。
画商の言うことは意地悪でもなんでも無くて至極最もな事を言っている。
その中でもアートを作りたい。新しい物を作りたいともがき続ける。それは時に人として大事な感情から逸脱しているがひたむきに自分だけには嘘をつかない。絵の中で自己を探索し続けた主人公はその人生そのものが自己であると言うラストになっている。最後のコーラの缶がまさにそれ。(その人生とも言える缶に安値をつけないところがまた良い!)
この主人公はともすれば確かに才能が無いのかもしれないし間違いなく売れてないし、周りには笑われて画商にも相手にされているとは言い難い。
しかし主人公には近くに理解者がいた。
それは田舎の絵描きのおっさんだったり、新聞屋の所長だったり妻だったり娘だったりする。面白いのが娘との喫茶店で自分の昔の絵が売れていたり40万のコーラの缶を「ちょっと良いんじゃ無い?」と言う若い子がいたりする。コレは多くはいなくても主人公を良いと肯定してくれる存在がいる事を言っている。
だからこそあのラストが光る。
もっと言えば妻が去って娘が死んで全くの孤独と感じた日が出来たからこそ妻の愛にも気づいたのかもしれないね。
腕組んじゃってるものね!