残業という名の圧倒的正義
僕の職場は中小で去年転職し、引っ越してきた。
転職前の説明では残業はほぼない。あっても1時間程度。と言っていた。
フタをあけてみると定時で帰ろうとすると明らかに冷たい視線が向けられる。
日中は普通に話していた人間に「お疲れさまでした」とあいさつをしたら無視を決め込まれた。
しかしここまではよくある話だ。だからこそ問題である。
残業を暗に強いる風潮のある日本社会はいったい何人の時間を奪い、健康を奪い、可能性を奪ってきたのだろう。
今日までの仕事が終わらずに自主的に残業することはあろう。
次の月の収入を伸ばすために残業することもあろう。
しかし、それらは全て「自分」の都合により自主的な残業をしているにすぎない。
他人が定時で帰って嫌な反応をするということは、その人は残業したくないのに残業しているに他ならない。
「あいつ空気読まずに帰りやがった(俺だって帰りたいのに帰りやがった)」
ということだろう。
いや…。帰れよ。帰りたいなら帰れよ。
ってことで
残業を根本的に減らす提案
2.残業している人間は残業によって奪われている自分の可能性に気付くべき
1.人を雇え
これは極論だとは思うが、2時間も3時間も残業になるってことはマンパワーが足りてないということだ。
すなわち人をギリギリアウトな人数しか雇っていない社長の責任だ。
そんな会社に忠誠心を誓うのか?それに見合う報酬をもらっているのか?
むしろそんなギリギリ回っていない人数しか雇っていないケチな会社はそもそも給料だって削っていることは想像に難くない。
事実、僕は薄給だ。ライフワークバランスを考えたときに定時で上がれると聞いてライフをとった人間だ。
だが残業があるなら話が変わってくる。
というか今更気づいても遅いが「給料が高い=忙しい」は間違い。薄給で働かせるモラルの経営者は安く社員を使い倒すことにためらいがない。
そして残業代を出してギリギリ回させるより人を増やして残業代を浮かせたほうが安い可能性が出てくる。
作業量にもよるが、残業をしないといけない雰囲気の職場は特にだ。
一人が残っていると自分の作業は終わっているのに無理して残っている人間がたくさんいる。
一人の残業が集団の残業を誘発するのだ。要するに8人が一時間残業するくらいなら8時間拘束の人間一人増やし残業をなくしたほうが安く上がる。
そして本当は残業したくないのにしている社員のストレスは緩和して離職率も下がる。
定時に近づいて「今日は帰れるのか」という言い難いストレスを毎日というのは本当にしんどい。
2.残業している人間は残業によって奪われている自分の可能性に気付くべき
残業は本当に人の可能性を奪っているといえる。
僕は今日空気を読まないおかげでこうしてブログを書くとこができている。
帰ってゲームをするのもいい。ゲームという知見が広がり自分の好きな時間に没頭できる。
寝るのもいい。ストレスが緩和され、肌の調子もよくなり、自律神経も整う。
何をやってもいい。
YOUTUBEをしたらバズるかもしれない。時間と空間に縛られない収入を得ることができるかもしれない。
これらは全て残業代なんかよりよほど建設的だ。
副業に手を出すなら後々残業代なんか比較にならないくらいに収入を上げることができるだろう。
残業を強いる人はその人物の可能性を奪っていることに自覚を持つべきだ。
3.偉い人は残業しちゃダメ
上の人間が残業していて気を使って帰れないという話をよく聞く。
その上の人間はいいだろう。好きで残業をしているんだから。でも想像力を働かせてほしい。
あなた一人いい気分で残業をしている副産物として周りの部下は言い知れぬストレスの残業をいやいややっているのです。
割に合わない。ひとりのいい気分と大人数のストレス、大人数のいいきぶんと一人のストレスを比べるならばとるべき選択肢は圧倒的後者だろう。
かといってやらなければならない仕事が残っていることもあるだろう。
その時は面と向かって先に帰ってもいいと上司の方から言うべきだろう。
人の上に立つと共感力は薄れると聞くが、人を統べるものこそ共感力と想像力を働かせてほしい。
願わくば上司ほど
「定時になったから帰るぞ」
と言ってほしい。そしたら部下たちはカリオストロのラストよろしく
「なんと気持ちのいい連中だろう」
と上司を褒めたたえること請け合いである。
正直まだまだ言いたいことはあるが僕はもうすぐ寝る時間なのだ。
残業はしない主義なので今日はここまで