ザルツブルクといばミラベル宮殿
7月のオーストリアキャンプはそこそこ涼しくて寝やすかった。
日本の10月初頭くらいの気温か…。この分だとストックホルムのテント泊が心配である。
シュラフは3シーズン用。持ってきたダウンジャケットもあるので何とかなるとは思うが。僕は寒がりなのだ。
再びザルツブルクに降り立った僕はかねてから行きたかった場所、ミラベル宮殿に直行した。ここは大司教が愛人と子供たちの為に建てた宮殿だが、そんなことよりサウンドオブミュージックの舞台として観光に来た人たちがほとんどではないだろうか。
僕は映画が好きでサウンドオブミュージックのこの宮殿は印象深かったのでやはり御多分に漏れないわけだ。
ミラベル宮殿は建物内よりやはり庭が美しかった。噴水越しにホーエンザルツブルク城がみえる。
ザルツブルクのザルツとは塩のことで岩塩によって発展した街だ。明日向かうバートイシュルには塩分の豊富な温泉があるというし、今回の旅の一番の目的であるハルシュタットは岩塩の採掘場であるという。
きちんと調べたわけではないがザルツブルクはハルシュタットの塩を卸売りして大きくなったのかなぁと思いを馳せる。
個人的に一番かっこよいと思ったのがザルツブルク大聖堂。日本語の音声ガイドも借りて回る。
構内はきれいに漆喰でおおわれて白く優美な彫刻がびっしりと詰まっている。とてつもない仕事量と技術だ。
ザルツブルク大聖堂から見下ろすと自転車の障害物を乗り越える競技の様な催しをやっていて人が集まっていた。自転車というスポーツのヒエラルキーの高さに改めて驚く。
その後ホーエンザルツブルク城へ行った。まあ行っとくか。程度の心構えである。
しかし、興味深かったのが展示品の多くが第一次世界大戦の資料が多いことである。
日本であれば第二次世界大戦の資料展示が多いのだが、それもそのはず。日本は第一次は関りはあるものの当事者としてはかすっている程度の存在感の薄さ。
ひいてはオーストリアはあの第一次世界大戦の引き金となったサラエボ事件の当事者だ。
とても興味のある内容なのに語学がとことん堪能でないのがこういう時に悔やまれる。
後はザルツブルクといえばモーツァルト。生家をみたり一応したが。まあなるほどという感じ。でも、モーツァルトは1750年から1790年代の人物。日本では江戸時代でそのころの偉人の生家に行ったとすれば趣のある戸建てだろう。しかし、まんまアパート然とした趣だったのは少し面白い。と、いうか日本でその時代の時代の偉人の生家に僕は行ったことがない。1700年代の人物の生家がきれいに残っているのはそれ自体すごいかもしれない。
帰ったらアマデウスを見返そう。
そして、ベースキャンプへ戻り今日の僕の一日は終わる。