残業の心理学〜サンプル数 1 〜

ブラックな会社に入ってしまい残業をいかに減らせるか日々格闘するサラリーマンの葛藤の話。

北野武監督「あの夏、いちばん静かな海」から見る。見えない暴力の正体

あの夏、いちばん静かな海を久しぶりに観ましたね。

当ブログではネタバレありですので注意してください。

あの夏、いちばん静かな海北野武監督の中でもかなり異色の作品と言えます。

北野武監督の作品は大体一貫して暴力をテーマにしています。おそらく多くの方がイメージする北野映画のバイオレンスな描写とは今作はかなりテイストが違いますね。

パッと観た印象だけだと爽やかで心温まる最後が割とショックな切ないお話になると思います。

しかしこの作品の暴力性に目を向けると他の北野作品には無い暴力性がコレでもかと意地悪く散りばめられています。

暴力にも直接的な「殴る」「蹴る」「刺す」等々と言った直接的な暴力だけでなく、間接的な暴力が日常にはあふれていますよね?

例えば代表的なのは「無視する」、ともすれば「強い光を当てる」事も暴力になります。

今パッと思い浮かんだのがこの程度ですが、この間接的な暴力は「見えない暴力」とも言えます。それ故に根が深いし寧ろ日常的にはこの見えない暴力の方が身近である事が多いです。そんな暴力。




1、2人の聴覚障害に対しての認識の違い


話をストーリーに戻して、主人公カップルは聴力障害を持っていて音も聞こえないし喋れない。そんな主人公カップルは様々場面で一般人(健常者と言うのも憚れるため聴覚に特徴の無い方を便宜的に一般人と表記します)との軋轢を感じることになります。

主人公の茂がサーフィンを始めるまで茂は常にムスッとした顔。恋人以外に心を開かない(おそらく恋人にも心を開いていない)。自己嫌悪まで行っているかはわからないけど劣等感は感じている。

ともすれば朝のラジオ体操のおっさんとの会話のシーンで恋人の方は一般人が悪気が無いことを理解して、自分の特徴も受け入れているので笑顔で相手を受け入れ前向きです。

序盤に現れるこの2人の聴覚障害に対する向き合い方の差はとてもこの作品で大切な要素になります。

コレは茂くんが人としてネガティブという訳ではなくて寧ろ「言葉にする」と言う「表現」を奪われている事に執着したからこそ「自分を表現する」事への強い憧れを持つ事ができた。そしてその表現方法としてサーフィンに出会う事ができたのです。

また恋人は自分の特徴を素直に受け止めているが故に後に挑戦する前からひねくれて大会参加を一蹴しようとする茂の大会エントリーを後押し出来たのですね。



2、2人を取り巻く周囲の見えない暴力と対比


まあコレは見える暴力とも言えるかもしれませんがサーフボードを持って歩いている2人を見た知り合いが茂くんに遠くから声をかけるが当然それに気づかない。

その2人に近寄って肩でも叩けば良いのに知り合いは2人の視界に向かって石を投げるんですね。その知り合いは当たっちゃってもまあ良いんじゃね?みたいな認識で悪びれない。要するにほぼ無意識レベルで茂くんとの接し方が雑になっていっているのです。

観た人ならわかると思いますがこの知り合い達はそんな嫌な人間じゃないのですね。作品通して可愛いキャラクターなのです。だからこそ接し方が雑になってしまっているこの描写は見えない暴力とも言えるのです。

先の話を言えば面倒を見てくれるともサーフショップの店員も壁の無い良き理解者では無く、どこか遠慮がちだったり茂くんと常に一定の距離を感じる。また店長の客の後輩?達も茂を認めつつもとても遠い距離がある。

集合写真で全体写真では和気藹々とシャッターを切るけど2人の写真を撮るときは撮った後カメラマンはお辞儀する。…と言う絶妙なこの距離。

時間軸を戻すと茂くんは折れたサーフボードを自分で直して使っていましたが結局折れてしまう。(このメタファーは痛烈)そして給料が入って新品を買ってとても嬉しそうにするのですがその新品のボードは他店でもう少し安く買えることを知ってしまう。

ここは少しギャクテイストになってますがその次のシーンでサーフショップの常連が店長に「高いよ」と、冗談交じりで抗議する。この対比によって茂くんと他の人との違いや制限を浮き出しにしています。

まあこの作品細かに観ていくとその後のバスのシーンしかり大会の呼び出しに気づけずに大会が終わったりとても意地悪なシーンが多いのです。


前カットと同じ構図を使う事によって対比を見せる手法もこの作品では多く使われてますね。

コレは黒澤明との対談だったかな?北野武はこの時まだ技術不足で固定カメラでの撮影ばかりになってしまったと言う様なことを言っています。それが功を期したと言うべきか、その制限の中で出来ることとしてこう言った見せ方が出来るというのはやっぱり凄い監督です。

と、言うのも固定カメラで同じ構図の同じようなシーンを茂くんと他の一般人の違いとして見せています。

知り合い2人はその対比に多く使われますがこの知り合い2人に限って言えば彼らはとても間が抜けていて結構可愛いキャラクターなので茂くんより物事が上手く行かないというようなギャグキャラクターとしての性質が強いです。癒しですね。




3、あの夏、いちばん静かな海はあの夏いちばん静かな暴力と言える


僕は映画を観た後は自分の中で一度物語を咀嚼、解釈、消化した後に他の人のレビューや考察を見ます。なので僕のブログもそういう風に皆さんの自分個人の解釈を持ちながら他人の解釈、見方程度に見てもらえたらなぁと思います。

その上でとあるブログでは茂くんは最後死んだわけでは無い。と言う人がいらっしゃいました。はっきり言ってとても鋭いしとても合理性があり今はその人の考察に僕は寄っている状態です。視聴中も足首にくくりつける紐がボードとくっついている状態で肉体だけ消えるってどう言う事だろうと今回再視聴した時違和感がありました。

無いとは思うけど演出上のミスで実際茂くんが溺れて死んだ、或いは行方不明になったと言う一般的な見方をした場合、やはりこの結末は聴覚障害であり、声を出せない「見えない暴力」が大きく絡んでいるので。この結末は「あの夏、いちばん静かな海」であり「あの夏、いちばん静かな暴力」と言えますね。