腑抜けども、かなしみの愛を見せろをやっと観たから硬い感想を書く
サトエリの演じる澄伽は自己顕示欲と承認欲求の塊。確かにとても痛くて恥ずかしい。作品のコメディ部分はほぼほぼサトエリが担っている。
澄伽は承認欲求から兄との関係を持つが、実は、姉の事を一番理解してて姉を一番必要としていたのが人一倍客観性のある妹だったのがすごく面白い。
「お姉ちゃんは自分の面白さを全然わかってない!」
というセリフが全てを言っている。
得てしてなりたい自分と本来向いている自分とは違う人が多いだろう。しかも自分の良さをわかっている人もかなり少ないと思う。
確かに澄伽にとっては本来求める認められ方ではないのかもしれないが本当の意味で澄伽を承認したのは、紛れもなく姉をネタにマンガを描いた妹なのである。コレは正しく愛である。
だからこそ手紙を破いて盲目的な過去の自分から抜け出し自分を受け入れる事ができたのである。
また妹の清深も負い目を感じている。何を見ても、両親の死を見ても漫画のネタに脳内変換してしまう。コレは風立ちぬやはじまりのみちの様に何かを作る人間にとっては生理現象の様なものでもあるがコレに苦しんでいた。そしてその欲求にトコトン貪欲であり客観視に長けた清深は自分をよく知っているが故に苦しんでいた。
そんな清深を澄伽は追いかけて
「あんた、私のこと見るんやったら最後までマンガにしなさい」
と、清深を承認してあげるのである。
正しく愛である。
どこか欠落してどこかおかしい腑抜けどもの愛の話。
余談だが、この姉はその後妹について東京へ行ったのは間違いないが女優を目指すのを諦めていないと思う。妹の漫画の内容と作品の流れから言ってその方が自然な気がする。
もしかしたら自分の面白さに目を向けた澄伽は名女優になるんじゃなかろうか…。
もしくはそのままうだつが上がらずその様が妹のネタになり、より妹はのマンガが面白くなるのだろうか。
実は終わり方がかなり広がった想像させる終わり方である。
ただ、才能の差の話とは私は思わない。姉は自分の面白さを理解してなくてそれ自体が面白い。要するに才能の使い場所が間違っている者と客観的な者が自分の才能を活かせる場所で活かしただけだと思う。