残業の心理学〜サンプル数 1 〜

ブラックな会社に入ってしまい残業をいかに減らせるか日々格闘するサラリーマンの葛藤の話。

世界にひとつのプレイブックは吹き替えで観るべし!!

気に入った映画は少年のように何周も何周も繰り返し観る僕。

この2カ月で繰り返し観てる映画が4本ありまして、「茄子アンダルシアの夏」「茄子スーツケースの渡り鳥」「マンチェスター・バイ・ザ・シー」「世界にひとつのプレイブック」。この中の「マンチェスター・バイ・ザ・シー」「世界にひとつのプレイブック」は以前観たけどそこまで刺さらなかったんですよねぇ。

しかし、映画っていうのは不思議なものでその人がその映画(小説や漫画、アート含む)を必要とする時にその映画と出会ったり思い出す縁があるんですよね。

と、いう事で色々自分の状況や心境が変わった今この2作を再度視聴したら……もーーやばい!

ボロッボロに泣き崩れましたねorz

その中で今回は「世界にひとつのプレイブック」をば…。


先に言っておきますが1回目で刺さらなかった理由で字幕の淡白さがあると思います!

キャラクターの激昂が面白いので是非ニュアンスも含めて吹き替えを強くオススメします!


まずプレイブックとはアメフトのフォーメーションや戦略を書いた本のようですね。僕も雑に調べた程度なので具体的なイメージが湧かないのですが。ただ日本ではプレイブックではなくプレーブックの方が検索に引っかかるのでこちらの表記の方がベターのようです。

この話は妻に浮気され、浮気相手に暴力を振るったパットがそれ以前から兆候のあった躁鬱病治療のため8カ月間の精神病院の入院を経て半ば無理やり実家に帰ってくるところから始まります。

パットは自尊心が傷つくため薬を飲まない、その上会話の前後が微妙にズレてて話題が逸れたり内密の話も悪意なくポロッと口にする。どうみても躁鬱が治ってはいないです。

そのパットは元?妻ニッキと自分の共通の友人夫妻から夕食を誘われます。

渋々夕食会に出かけるパット。

そして、夕食に来たのは友人夫妻と友人妻方の妹のティファニー

ティファニーは夫を亡くしてから性依存症になってしまい失業中の女性。

このパットとティファニー。2人の精神疾患患者を中心に話が進みます。

この作品の秀逸なところはキャラクター配置と設定となるバックボーンの緻密さ、周到さですね。ティファニーは確かに夫を亡くした寂しさで性依存症になるのですが劇中で意訳ですがこう言ってます。

「私はいつもひとのために尽くしてきた。でも気付いたら自分は空っぽだった」

他にも夫が体を求めてきてたけど自分の事でいっぱいでそこまで気が回らなかったけどそれは自分の罪ではないでしょう?というような事も言っています。要するにティファニーは夫の生前から夫に自己犠牲的で共依存であったであろう事が予想できます。それ故、自己の軸になっていた夫が突然亡くなって軸を失った彼女は自分が誰かに求められるのを欲するようになったと解釈できます。

また、パットも間男と鉢合わせる前に妻と歴史教師(浮気相手)が陰謀を企てていると通報してます。要するにパットもティファニーも夫が亡くなったり、妻の浮気現場に遭遇したのはキッカケなだけで、それ以前から精神が正常では無かった事が会話からわかります。

他にもパットの父親も短気で暴力的な部分を持っていたり病院に通っていないだけでそれぞれのキャラクターが日常の生活でストレスを持っていたり遺伝レベルでの精神疾患を想像させる設定が多くあります。

しかし、彼らの言動はどこか共感を覚えるところがある。

ここが正に重要で、最後の言葉通りパットやティファニーの持つクレイジーな部分は誰にでもある要素で彼らはそれが人より強いだけって言う事なんですね。

実際僕はこのパットとティファニーとその他のキャラ共感しっぱなしでした。


この作品は躁鬱病患者の言動をコメディにしてるけど「僕たちは人にはわからない事まで読み取れるんだ」と言うようにパット達を人の気持ちを人一倍感じる繊細な人たちとしている事で彼らのパーソナリティを肯定的に捉えています。

だからこそヘミングウェイの本に対して人とは違う目線から批評を言うことが出来るし、最後のティファニーの手紙にも文書から気づくことが出来たのです。

この病気になる事が出来るほど繊細だからこそ2人は結ばれたのですね。


この映画を観ると単に女に捨てられた男が別の女とくっついてハッピーエンドってだけでとる人がいたら(いるのかな?)それは大きな間違いです。

まずパットが劇中でティファニーとやってるプロジェクト(ダンスのこと)をやってると集中して心が落ち着くような事を言います。

コレが大事で2人とも自己の軸が恋人の喪失により失ったけど2人とも、この場合ダンスを持って自分が何をしたら楽しいか、幸せかに心が移るんですね。

サラッと言った発言ですがコレがこの作品ではとても重要なところで、しかも最後のダンス大会では5.0点で周り人たちには失笑を買うのですが本人たちは大喜びします。

コレは賭けの事も有るのですが、作品の本質的に言えば他人との相対的評価ではなくて自分の絶対的評価の上で喜び達成するんですね。

こう言う読み取り方をすれば或いは「桐島部活やめるってよ」に通ずるところがあります。


また恋愛モノとしてもやっぱり面白くて、失恋した時は是非みて欲しい。パットの興味あることは元妻のニッキは興味なかったり下品だって言ったり元々2人の認識はズレがあった。しかし、ティファニーとパットは初対面から意気投合。変態的なSEXの話を楽しみ互いを思いやっている。

パットは失恋から僕にはニッキしかいない!と思い込んでて価値基準がニッキとの復縁に偏っていますが、コレはパトレイバー後藤隊長の言うようにフラれた時はみんな思う幻想に過ぎなくて必ず君にぴったりフィットな人はどこかにいるんだよ。それは近くにあるかもしれないよ。というメッセージでしょう。


どん底にいるなぁと思う人は是非この映画みて下さい!とても普遍的なお話だと思います。

ただパットは8カ月の精神病院で一番大切な悟りを開きました。それが

「より高く」

です。僕も大変だけどきっと「より高く」を意識する限りよりよくなれるのだと思いました。


いやー映画って本当にいいものですねぇ