ムトウユージを再評価
先日述べた様にムトウユージは感動の演出がクドい、テンポが悪い、等。不評な部分が目立つが今のTVシリーズも含めてムトウユージのしんちゃんに言えるのは圧倒的にしんのすけの魅力が無い。
しんのすけのキャラクターは漫画版と違って担当する監督のシーズンごとに絵柄も違いギャグの方向も違うし、矢島晶子も公言するように絵柄につられて声もかなり変わっていっている。それに沿ってTV版の話内容も別々の個性がある。
もともと初期のしんのすけは子供らしい親への反抗であったり社会の不条理の反抗による既成概念の破壊と言った子供にとって反権力のヒーローの様な存在であった。
しかしムトウユージのしんのすけはただ破天荒だったり脈絡の無いギャグであったり単に人を不快にさせる行動をとる事が目立つ。
ここまで見ていただいて、
「なんだ結局いいところないじゃないか」
と思うだろうが、
『事あるジャンルに対しては優秀な監督』
である事に気付いた。
ムトウユージのホラーと不条理
ただムトウユージにも人気のある話が存在する。それがクレしんホラー劇場である。同シリーズは原恵一の時からあるがムトウユージのホラー劇場もかなり面白い。脚本家の力も大きいが不条理やホラーを演出する力は高く一見の価値がある。
ムトウユージの作家性がそこにあると思って見てみると他の劇場版3作品も違う趣が出てくる。
酷評の多い3分ポッキリでひろしとみさえの自分以外のヒロイズムに夢中になる様はまるでマルコビッチの穴の様に見えてくる。すると駝鳥な繰り返しに見えるヒーローと怪獣の戦いの繰り返しは退屈な演出以上の意味を持ってくる。また、ホラー劇場と同じ脚本だが踊れアミーゴも序盤のホラーパートはかなり怖く目が離せないくらい面白い。ただ後半の『クレヨンしんちゃんだからこうしなければいけない』と言う思いだろうがせっかく広げたホラーの世界観が下らない着地をして合理的で閉じた世界に収まってしまっているのがもったいない。他の2作の劇場版も『クレしんだからこうしなければ』『最後に感動する(道徳的に)話に収束せねば』と言った収束の仕方をしていると感じらのが否めない。
クレしんの感動は原恵一から始まったとは思うがそこを真似するよりは、原恵一の『上に怒られても作りたいものを作った』と言う姿勢の方を真似た方がムトウユージはクレしんで面白い作品を作れる気がする。もしくはムトウユージとクレしん視聴者は基本的には合わないと思うので別のタイトルをやったら面白そうだと思った。